入院5日目(手術から3日後)
騒々しさと暑さで目が覚める
看護師が朝一でやってきて、血を抜かれる
検温は平熱だった
一晩中、ガスが止まらずにいた
昨日、ルートが取れたので、ノンワイヤーブラを着けTシャツに着替える
こんなことなら、パジャマは最小限にして、手持ちのTシャツやジャージを持ってくればよかった
こんなに早く点滴が終了するとは想定外だった
虫垂炎で入院したときは、点滴がなくても退院前日くらいまでルートは残されていた
B病院は入院時に決められたとおり点滴を実施し、終わるとそれ以上の点滴はやらないようだった
入院初日に点滴の本数や種類も聞かされていて、そのとおりに進められたから
朝食から、常食に戻った
なんとホットケーキ!
だが、バターもマーガリンもついておらず、油分が恋しくなった
この後もつぶさに観察したが、食事の油分は徹底カットされていた
そして極力、小麦粉が排除されていた(選択メニューを除く)
土曜だったが、朝の回診は行われた
B先生ではなく、当番の先生らしかった
初見のD先生(女医)によって傷口のフィルムがはがされた
そして、シャワー浴の許可が下りた
塗り薬だけではダメそうなので、アレロックもお願いする
腸は動きガスも出続けていたが、便が出ないので、酸化マグネシウムを処方してもらう
ただ、土曜は忙しいのか(というか回診終わると、土曜の当番医師は帰れるのか?)、フィルムをはがされた後、看護師は腹帯を着けてくれなかった…さっさと病室を去る医師に慌ててついていってしまった
なんだかみすぼらしい気持ちで、自分で着けたのだった
後にも先にも、医師や看護師に診られた後、腹帯放置されたのはこのときだけ
午前中、父が来てくれ、手術日に吐いてダメにしたパジャマを洗濯して持ってきてもらった
手術が終わり、摘出した臓器をB先生に見せられたそうだが、それを見た父はアワアワしたのだそう
自分の拳より大きい筋腫が取り出され、これは無事ではないだろうと
それであの日、「死んだんじゃないですか!?」と大騒ぎしていたのだった
既に点滴スタンドもなく、自力で歩いている私を見て、とりあえず安心したようだった
この日は退院する人が多く、私と同じ病室の二人もそうだった
2日前から二人が退院することは知っており、私は「これで安眠できる~」とこの日を心待ちにしていた
二人とも、いびきの合唱が笑
とりあえず、月曜までこの部屋は独りだろう
昼食後、待望のアレロ…いやオロパタジン(なんでジェネリックやねん…)が届くが…夕食後まで飲んではいけないと看護師に言われる
こういうところ、入院では融通が利かない
街中のクリニックなら、初回は食後にすぐ飲んでいいとなるはずだが
酸化マグネシウムだけはすぐに飲んでいいと言われ、大量の水で飲み込む
手術後にこの病室に戻ってから小さな咳が出ていて、それが地味に傷に響いた
この日にようやく、身支度する余裕が生まれていて、思いついてティッシュで鼻の穴を掃除したのだが…
なんじゃこりゃ~~!?!?
見たことのない埃でいっぱいだった
1~2ミリの、青い繊維片でいっぱいだった
ベッドを見ると、白いシーツの上もベッドのテーブルの上も、同じ繊維片でいっぱいだった
空調から降り注いでいるようだった…古い建物だからな
病室にいる間は、持参していたマスクを着けることにする
元々、季節を問わず就寝時はマスクをしており、愛用の「超立体」を持ち込んでいた
そういえば麻酔の後遺症?で、小さな口内炎も二つできていたな
そして、病院の枕が臭すぎて、術後は持参したドーナツ型クッションで寝ていた
虫垂炎のとき、ずっと仰向けに寝ていてお尻がペタンコになったことを強烈に覚えていて、尻に敷こうと持ってきたもの
ところが尻に敷くとクッションの厚みで腹部を圧迫し使えずにいたが、マイクロビーズのクッションは、枕には凹みや高さが丁度よかった
(罰当たりだが、枕は食事時の正座クッションに変わったとさ…)
夕方、おそるおそるシャワーを浴びる
3日ぶりのシャワーで、生き返った気持ちになる
シャワーの後に足が濡れることは、やはり気分が悪かったが…
そして、浴室内の鏡で、新たな蕁麻疹を肩に発見する
髪を乾かす前に、従姉妹がやってきた
見舞いに、頼んでいたTシャツを差し入れてくれた
もうパジャマでいる必要ないし、病院は暑いし
20時くらいまで付き合ってくれ、彼女は帰っていった
…問題は、従姉妹がいる間に二度ほど便意があったことだ
だが、機を逸してしまった
仕方なく、夜も一錠、酸化マグネシウムを飲み下す
久々に独りきりの部屋で、ストレスなく眠ることができそう
そして何故か、この日は消灯後もエアコンが点いていたのだった…寒いくらいだった笑