さよなら、子宮筋腫

子宮筋腫と子宮をとった記録

入院2日目(手術当日の術後)

「私さん、私さん」

軽く肩を叩かれ、ハッとなると同時に、腹部に痛みが

「私さん、手術、終わりましたよ」とB先生と思しき男性の声が

「は、はぁ」

先ほど目を閉じて、一瞬に感じられた

意識は戻ったが、目は開けられない

意識があるというだけで、何かができるような感じではない

声を掛けられても、まるで遠いところから呼ばれているような

「病室に戻りますよ」

手術台からベッドに移され、病室へ運ばれたが…

キモチワルイです…

乗り物酔いのような感じ

やっぱり、麻酔で吐く4~6人に一人なのか?

(註:入院前に聞いた説明で、麻酔後嘔吐するケースがあると聞いていた)

それにしても、腹がいてーよ!!

 

先ほどまでいた病室とは違う部屋に運ばれる

ナースステーションの隣の部屋のようだ

病棟で父がワイワイ騒いでいるのが聞こえる

「ウチの娘は死んだんですか?死んでるんじゃないですか?」

病棟中に聞こえる音量で、そんなことを言わないでくれ笑

そもそも、手術室からここまで一緒に戻ったじゃないか

死んだ患者を病室に運ぶわけないじゃん、と言って諭したかったが、あまりにお腹が痛くて声も出せない

そして、やっぱりリバース…激痛ぅぅ!!!!!!

もう少し吐きたい気がしたが、2回に堪える

それくらい、強烈な痛みだった

これまでの人生で3本指に入る痛さで、もしかすると一番かもしれない

刃物で腹を刺されたら、こんな痛みなのだろう

 

看護師が私の処置を済ませると、ワイワイ騒いでいた父が部屋に入ってくる

色々言いたかったが、腹痛でそれどころではなかった

オペは全部で2時間半くらいかかったらしい

ともかく、大丈夫だから帰っていいと伝える

起き上がったら、連絡するからと

ワイワイ父は騒いだが、お腹の痛みで話を聞く余裕がなく、お引取りいただいた

 

部屋は暑いし、術後もかけられているマスクが息苦しくて仕方ない

苦しいから外したいと看護師に言うと、医師の指示で外せないという

うとうとする頃に毎度、熱と血圧を計られ、起きてしまった

1時間ごとに計るらしい

そして、38℃以上の熱が出ていた

看護師に、謎の質問をされる

「今の痛みは10点満点中の何点?」

意味が分からないのだが…熱に浮かされているし、考えることを脳が拒否している

10点→死ぬ、9点→死ぬ一歩手前…と逆算していき、6点くらいと答える

ちなみに、吐いたときの痛みは8点だった

 

しばらくするとB先生が「私さ~ん」と部屋に入ってくる

「ちゃんと、キレイに縫いましたからね」

ありがとう、ございます…とどうにか声に出す

「皆さんに、キレイに縫いますけど」

そんな余計なこと言わんでエエっちゅーねん…寧ろ、私だけ特にキレイに縫ったと言えばいいものを

「先生、ここらへんが、めっちゃ痛いです」

痛くて仕方ない箇所、傷口の左付近を指差す

そこは、傷口ではないはずだが…

「そこ、ドレーンですね。仕方ないです…異物が入っているので」

手術が終わったら傷口を閉じるが、内部で大量出血しても分かるようにドレーンを入れておくとの説明があった

どうやら、そこが痛むのらしい

硬膜外麻酔が、そこには全く効いていないらしかった

傷口は大人しくしていれば堪えられる痛みだったが、このドレーンの方は…堪えがたい痛みで、結局それを抜くまで痛みは続いたのだった…

「あと先生、まだマスク外しちゃダメ?外したいんですけど…」

そう訴えると、麻酔科から3時間吸入の指示をされてるんですよね…と言い先生は時間を確認しに行ってくれ、あと7分と教えてくれた

そして7分後、ようやく酸素吸入が終了し、少し眠ることができた

 

熱は上がったり下がったりを繰り返し、最高38.4℃に達した

翌日まで一度も、37℃を下回ることはなかった

あまりに暑くて、アイスノン(もどき)を二つ持ってきてもらった

硬膜外麻酔は常時背中から注入されているが、特に痛い場合は1プッシュ、薬を送り込んでもらうことができる

術前説明のときB先生が「麻酔は積極的に行います。場合によってはモルヒネも」と言っていたことを信じ、どんどん1プッシュお代わりを要求した

血圧の上が100ないとプッシュしてもらえないのが厄介で、一度だけ低くてパスされた

硬膜外麻酔はドレーンの傷には全く効いておらず、痛み止めの点滴も追加してもらった

結局、点滴が一番効いた

床ずれになるは言いすぎだが同じ姿勢をするのはよくないと、2時間ごとに体勢を変えてもらったけれど、右を下にするとドレーン傷が痛すぎて、仰向けか左を下にすることしかできなかった

フットポンプはずーっと動いており、まあまあ邪魔だった

 

とにかく痛くて不快で、よく眠れないまま夜を迎え、朝を迎えたのだった